「有り難う」
その言葉だけで強くなれる自分がいる。
だけど、次にその言葉を言われた時は
別れの時だと、思った。
『有り難う』
「何だか、大変なことになっちゃったみたいね。」
奥方は「大変なこと」と言いながら緊張感がなさそうに言う。
今、孫呉と私達の関係は限りなく悪化していた。
孫呉の人間である奥方を、良くない眼で見ている者も増えた気がする。
それでも奥方はいつもと変わらないように私と接していた。
相変わらず“じゃじゃ馬”。
手には圏を持って、いつでも戦えるような態勢で。
あ、
まずい。目が合った…
この目の時は大抵…
「ねえ、稽古つけてよ。」
いつもの、あれだ。
「ねえ、いいでしょう?」
「なりません。奥方に怪我でもさせたら…」
私の立場的にまずい。
全く、奥方は自分がどういう人間か全く理解していないのだから…
「けちー。甘寧は私が兄様の妹でもよく稽古つけてくれたわよ。」
そして、他の男と比較されて私がどう思うのかも全く理解していない。
「けちでも何でも、駄目なものは駄目なんです!もっとご自分の立場を理解してください。」
立場。
その時の私は、その自分の言葉がどれほど重い意味だったかを理解出来ていなかった。
その言葉が、どれほど奥方を苦しませることになるのか。
「そう……そうだね……。」
いつもと違う。
いつもならば、反抗してくるのに。
今、思うと馬鹿なことを言ったと思う。
後悔。
立場なんて関係ない、と言えば良かったのだろうか。
孫呉も劉備殿の妻であるということも、関係ないと言えば良かったのだろうか。
奥方が立場を感じてないはずないのに。
馬鹿だ、私は。
でも、もう遅い。
寂しげな心を隠すような、作った笑顔で去っていく奥方に、私は
幸せの終わりが始まっている、と感じずにはいられなかった。
「奥方様!!」
その報せを聞いて、一番初めに動いたのは私。
“奥方が阿斗様を連れ出して孫呉に帰ろうとしている。”
そんなはずはない。
どうして奥方がそんなことをしなければならない。
嘘だと確かめるために、私は奥方のところに向かった。
嘘ではなかった。
阿斗様と手を繋いで、私たちの地を離れようとする奥方が目に入った。
「どうして…」
私は訊くことしかできなかった。
自分で考えても理解できない。
奥方はじゃじゃ馬だが、こんなことはしないはずだ。
「やっぱり、最初に来たのはあなただったわね。」
奥方は、阿斗様の手を離し、私に聞こえない声で阿斗様に何かを伝える。
その時、阿斗様が哀しそうな表情をしたのを私は見た。
阿斗様は次代の希望。
私にとっても大切な人。
だから、私は阿斗様を連れ戻す。
それが、私の立場、だから。
「ねえ、稽古つけてよ。」
奥方が言った。
聞き慣れた言葉。
いつもと違うのは、その言葉に覚悟があるということ。
「わかりました。」
もしも、私が違う立場ならば、こんな想いをしなくてすむのに…
次の瞬間、私の槍が奥方の圏を弾いて、
静寂、
その後に、
奥方は一言、
「ありがとう」
と言った。
別れの報せだ。
あの人はあの人の、居場所に帰った。
「子龍…?」
連れ戻した阿斗様の手をひいて、
私は私の、居場所に帰る。
雨が降っている。
傘を忘れて、ずぶ濡れになってしまった。
せめて劉備殿のもとに戻るまで止んでほしい。
「どうして、泣いてるの?」
雨が降る帰り道の中で、阿斗様が何かを尋ねた気がしたが、
雨の音にかき消されたその言葉は、私の頭に届くことはなかった。
:趙尚同盟で、趙尚を取り扱っていると書いてしまって、一つしかないのもまずいな〜と思い増やしてみました。また片思いっぽいですけど…うっかり、何故、阿斗様を連れ出したのか書いてなかったので、今度は阿斗様視点で書いてみたいです。